私は幼い頃に母親と過ごした記憶がほとんどありません。
両親よりも父方の祖父母、特に祖母と過ごした記憶の方が残っています。
母は産後8週だけ休み、その後すぐに仕事復帰したそうです。その頃はまだ育児休暇を取ることがメジャーではない時代だったんですね。
私は平日はほとんど祖父母と過ごし、土日は両親と弟と過ごす生活だったようです。祖母は私のことが本当にかわいかったようで、いつも私のそばにいました。
私が3歳になる頃までは、私たちは祖父母と同居していました。
この頃、祖母と一緒に寝たり、絵本を読み聞かせてもらった記憶はあるのですが、両親と過ごした記憶はほとんどありません。母に抱きしめてもらったり、抱っこしてもらった記憶がないのです。
父と祖父は昔から仲が悪く、よく喧嘩をしていました。
私が3歳の時に父と祖父は仲たがいをし、私たち家族は祖父母の家を出て別々に暮らすことになりました。うっすらと父と祖父が言い合いをしていたことは覚えています。楽しいことよりもつらい記憶の方が残っています。
私は保育園がかわり、慣れない環境へ一人で入っていかなくてはいけませんでした。幼いながらにとても憂鬱でした。
また、今までそばにいてくれた祖父母とも会えなくなってしまいました。
特に祖母は母親以上に一緒にいた時間が長かったため、私は療育者を急に失うこととなりました。
大人の事情で、何の説明もなく私の居場所は奪われてしまいました。
毎日寂しくて、保育園へ行くことも嫌でしたが、その気持ちを誰にも言うことはありませんでした。
なぜ言わなかったのか。
今になって思い返すと、言ってもどうにもならないと思っていたのかもしれません。
子どもは辛いことがあると、親に頼ります。親が自分の辛い気持ちを聞いて、どうにかしてくれると信じています。例え、それがどうにもならないことであったとしても、受け入れ、抱きしめ、乗り越えられるように支えてくれると子どもは信じていると思うのです。
しかし幼い頃の私にとって、親が決めたこと、こうしなさいと言ったことは絶対でした。そこに私の意思は関係なかったのです。
子どもは自分一人の力では生きていけません。幼いほど、親の影響は大きいものです。親に見捨てられれば、子どもは生きてはいけないのです。
私は親に見捨てられないように、従属的コントロールを身に着けたのではないかと考えています。
この頃の私には安全基地が確保されておらず、ストレスを感じても愛着行動を起こさない「回避型」の愛着パターンに当てはまります。
両親は育児放棄をしていた訳ではないのですが、家族間の諍いや仕事に追われていたのだと思います。また、父は今でいうモラハラ気質であり、母が父の機嫌を損ねないようにしていたのを私も幼いながらに感じとっていたのではないでしょうか。
母はよく、私の子どもが怒ったり、泣いているのを見て、「あなたは手のかからない良い子だった」と言います。
それは、幼い私にとって、この環境に耐えうる唯一の手段が従属的コントロールを身に着け、「良い子」を演じることだったということです。
出典:「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 岡田尊司著 (光文社新書) P37-43
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