私がブログを書くことを選んだのは、愛着障害を克服するためには、傷ついた体験を言語化していくことが必要であると学んだからです。
ネガティブな感情と共にその時の思いを外に出してしまわないと、いつまでも幼少期の体験が自分の中で膿のように溜まったままになるのです。
本当はこういった体験は安全基地となりうる人に話すことが重要なのですが、私の場合はそれが人ではなく、このブログということになります。
夫や親に話すよりも、このブログに吐き出す方が私にとっては気楽であり、最善だと思うからです。
母との関係は悪くはないのですが、何でも気兼ねなく話せる訳ではありません。
最近になって、幼少期のことを母と話すことが増えました。でも母にその時こうして欲しかった、こう言って欲しかったとはなかなか言いづらいのです。
夫は家事や育児に協力的です。
子どもたちのことも大切にしていますし、真面目に仕事もしています。
ただ、私の愛着障害を受け止めるだけの余裕はないと思います。
この問題を受け止めるためには、愛着についての理解と知識が必要になります。
私が吐き出そうとしていることは楽しい思い出ではありません。辛く、悲しかったことがほとんどです。
愛着障害の傷が深いほど、克服には時間がかかります。
その役目を夫にさせるのもやはり気が引けます。
そういう訳で、このブログが私の安全基地となります。
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