母親の存在
私は二児の母です。
子どもが生まれるまで、私にとっては母が全てでした。
母無しでは生きていけない、母が死んだらどうしようと時々どうしようもなく不安になることがありました。
私の母への執着は異常だったと思います。
私は一人暮らしをしていましたが、実家に帰省して自宅へ戻った後は大変でした。
部屋で1人になると、不安でたまらなくなるのです。
何がそこまで不安なのか自分でも分からないのですが、とても孤独で押し潰されてしまいそうになりました。
それはまるで、世界で1人きりになってしまったかのような悲しみ、私にとっては絶望感でした。
大袈裟な言い方に思えるかもしれませんが、愛着障害の人に依存症が多いのは、こういった絶望感から抜け出すために何かに依存するからではないかと思います。
子どもたちの存在
この孤独から救ってくれたのが、子どもたちでした。
子どもたちは生まれた時から母親を必要としてくれます。愛してくれます。
身体は痛く、寝不足で、肌も髪もボサボサでしたが、私の心は人生で1番満たされていました。
今まで自分が何のために生きているのか分かりませんでしたが、この子達を育てるために自分の人生を捧げようと思いました。
結局、私はただ愛して欲しかっただけなのだと思います。
良い子でも悪い子でも、私自身を愛して抱きしめてほしかったのです。
「愛着障害の克服」(岡田尊司著)によると、「オキシトシンには、社会性を高め、ストレスや不安を抑える働きもあることがわかってきた。オキシトシンの働きは愛着を支えているだけでなく、愛着行動によってオキシトシンの分泌が起きることで、ストレスや不安から身を守ってくれる仕組みも備わってあたのである。」と記されています。
産後はオキシトシンの分泌が増えます。
「幸せホルモン」とも呼ばれるオキシトシンのおかげで、本来は幼少期に親から与えられるはずだった幸福感や安心感というものを、子どもたちから与えてもらったのです。
何も変わっていない
しかし、その内に自分は以前から何も変わっていないということに気がつきました。
子どもたちの些細な言動や態度で深く傷つき、不安になるのです。
娘が生まれた頃に、息子に「お母さんなんかいらない」と言われた時は、悲しくて涙が止まりませんでした。
息子が本気で言ったのではないと分かっていても、私にとっては絶望でした。
産後の不安定なメンタルも影響していたとは思いますが、このままでは子どもたちの安全基地になり得ないと感じたのです。
子どもたちにはどんな時も自分は親から愛されていると、自信を持って生きて行ってほしいのです。
そして、子どもたちが巣立った後の人生を自分で豊かにできるように、孤独や不安の原因と向き合ってみようと決めたのです。
引用:「愛着障害の克服」 岡田尊司著 (光文社新書) P113
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