強迫観念
皆さん強迫観念って聞いたことありますか?
- 本当に確認したか確認したくなる
- 危害を与えたのではないか心配になる
- 何度手を洗っても汚れている気がして、手洗いをやめられない
- 決まった通りにしないと気が済まない
などの症状が見られ、日常生活に支障が出ます。
強迫観念じゃない人からしたら理解しがたいことかもしれませんが、これがほんとうにしんどいんです💦
私は、小学生の頃から強迫観念の症状が見られるようになりました。
中学生になって
強迫観念の症状は治ることはなく、中学生になっても続いていました。
小学生の頃は、宿題や教科書が入っているかを何度も確認していましたが、中学生になってからは、確認作業の他にお祈りをするようになりました。
私は特に信仰している宗教はないのですが、何かにすがらないと不安でたまりませんでした。
毎晩寝る前になると、「友達と仲良くできますように」「嫌われませんように」「悪いことが起きませんように」等のようなお願いを心の中で唱えていました。
この願い事の数はどんどん増えていき、最終的には10個くらいになっていました。
お願い事の内容は、悪いことが起こらないでほしいというものが多かったと思います。
このお祈りを始めたキッカケは、思春期の女の子特有の問題に悩まされたからです。
それは、ハッキリとした理由は分からないのですが、私がグループの1人から嫌われて、仲間外れにされたことでした。
この頃の私は、他人の気持ちを考えたり、他人の境遇に自分を置き換えて考えるということが出来ませんでした。
恐らくは、自分が気がつかない内に相手を傷つけたり、嫌な思いをさせていたのではないかと思います。
私はこの事に深く傷つき、悩まされました。
原因が分からないので、どうしたら良いのかも分かりませんでした。
学校を休む訳にもいかず、毎日が憂鬱で、目に見えない何かに祈るしかありませんでした。
何か嫌なことがあると、「昨日お祈りをしなかったからだ」と考えてしまい、どんなに眠くてもお祈りをしなければ、安心して眠れませんでした。
やればやるほど、やめられない
一度始めると、どんどん不安になって、やめられなくなるのが強迫観念です。
次々とお祈りすることが増え、費やす時間も長くなっていきました。
一度、母に自分の辛い気持ちを打ち明けたことがあります。
私が相談をすることがそれまでなかったので、さすがに母も心配して、私の話を聞いてくれました。
母は私の話を否定することなく、最後まで聞いてくれました。
もし母が私の話を最後まで聞かずに、自分の意見だけを押し付けてきたら、「話しても何も変わらない」と思い、母に話すことをやめてしまっていたでしょう。
愛着障害の人、特に不安型愛着障害の人は相手が自分の話を聞いているか、自分の言ったことに反論してこないかということを探りながら、その人が自分の相談相手になりうるかを確認しているのだと思います。
私は母に自分の苦しい思いを打ち明けることで、少し楽になりました。
しばらくすると仲間外れもなくなり、お祈りもいつの間にかやらなくなっていました。
今になって思う事
この時に経験した心の痛みや不安、辛さはとても大切なものです。
自分が受けた苦しみは、状況が変われば、自分が相手に与えてしまう可能性があります。
自分が何気なく言ったこと、態度で相手を深く傷つける場合があるとこの時学んでいれば、私が自分自身の言動を見直す機会にできたのです。
しかし、この頃の私は感受性に乏しく、他人の気持ちを慮ることができませんでした。
自分の痛みには敏感で、他人の痛みには鈍感だったのです。
共感性や感受性というものは教えてもらうものではなく、愛着と同様に、安定した家族関係の中で親から子へ受け継がれるものではないかと思うのです。
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