確認がやめられない日々〜強迫観念〜

目次

小学生の頃

小学生の頃、私は夜寝る前になると必ず行うことがありました。

それは、確認行為です。

いつ始めたのか、なぜ始めたのかは覚えていませんが、いつの間にか毎日の習慣になっていました。

教科書や宿題がランドセルに入っているかを確認するのですが、私の場合は確認行為に手順と決められた回数があるのです。

普通は一度見れば、納得して確認は終わります。

私は教科書が時間割通りに並んで入っているか、宿題が入っているかを数を数えながら確認します。

この数も決まっていて、不吉な数字や半端な数字で終わってはいけないのです。

キリのいい番号まで数えて、その時間内で確認行為を終わらせます。

そして、ランドセルを閉じます。

しかし、またランドセルの中が気になるのです。

「本当に入っているのか?」「見落として、忘れ物をしていないか?」と次々に不安な考えが頭に浮かび、またランドセルを開けて、確認行為を始めるのです。

確認を何度しても、不安は強くなるばかりです。

結局、その確認行為に一時間ほど時間を費やしていたと思います。

やめたいのにやめられない

自分でも、おかしなことをしていると分かっていました。

「こんなことに時間をかけても意味がない」と頭では分かっているのに、どうしてもやめられないのです。

しかし、誰にも相談できませんでした。

後になって、強迫観念は不安を打ち消そうとその行為をすればする程、不安が強まり、行為をやめられなくなると知りました。

本当にその通りでした。

なぜ強迫観念になったのか

では、私がこの確認行為をなぜ始めてしまったのでしょうか。

冷静に考えれば、例え1回教科書や宿題を忘れたところで、大した問題ではありません。

忘れても謝れば許してもらえますし、教科書は誰かに見せてもらえば良いのです。

しかし、この頃の私にとっては忘れ物は許されない行為でした。

私は恐らく、不安型愛着障害だったのでしょう。

1回の失敗で、先生や親の信頼を失ってしまうと思っていたのです。

安定した安全基地を持たず、愛されている自信がないために、見捨てられないように、常に「良い子」でいる必要がありました。

「失敗できない」「いつも良い子でいないといけない」という愛着障害特有の考え方が、私を追いつめ、その重圧が、確認行為として、表に現れたのではないでしょうか。

「愛着障害の克服」(岡田尊司著)によると、症状だけを改善しても、その根本的な原因の解決にはならないと記されています。

私の場合は、根底に愛着性障害があるため、いくら行動療法を行なって、一時的に強迫観念の症状が改善しても、また別の問題として現れていたのでしょう。

私は自分が、強迫観念や不安症、気分の浮き沈み等の様々な問題を抱えていると思っていましたが、その根底は愛着障害という1つの要因で繋がっていたのです。

参考:「愛着障害の克服」 岡田尊司著 (光文社新書) P83-86

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

こんにちは。やなです。
2児の母で、看護師です。
何気ない日常や好きなこと、趣味、少し重い過去の話など書いていきます。
記事によってテンションが違いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

コメント

コメントする

目次