適切な距離
皆さんは他人と適切で良好な関係を築けていますか?
学生や社会人で環境は違いますし、年齢も様々ではありますが、私はこの他人との適切な距離の取り方がよく分かりませんでした。
そのおかげで、職場の人間関係で悩むこともよくありました。
私は職場や学校で、大勢とわいわい盛り上がるというのがあまり得意ではありません。
私は大勢の中にいると聞き手に回ることが多く、ほとんど話をしなくなります。
みんなの話を聞いているとこれは楽しいのですが、自分が発言するタイミングが分からなくなるのです。
もともと社交的なタイプではないので、余計そうなってしまうのかもしれませんね💦
そして、子どもの頃は3人で話していると一人だけ置いてきぼりをされているような気分になって、どんどん話さなくなりました。
奇数になるとどうしても自分があぶれてしまうんですよね。
そのうち、拗ねて機嫌を悪くするというのもよくありました。
かなりめんどくさい奴です。
このことが関係していると思うのですが、私は独占欲が強いタイプの人間でした。
子どもの頃
小学生から高校生の女の子が友達同士でくっついているというのは珍しくないことですが、私は仲のいい友達、特に個人に執着し、誰か他の子に取られないように必死でした。
物ではないので、取られるというのはおかしな表現かもしれませんが、本当におもちゃを取られないようにしている感覚に近かったと思います。
友達が他の子と自分より仲良く話したり、遊んでいるのが嫌で仕方なかったのです。
この頃の私は、友達が他の子と仲良くなって自分を置いて行ってしまうような気がしていました。
自分には友達を惹きつけておく魅力があると思えなかったのです。
そのため、友達が私以外の子と仲良くなってしまうことに焦りや恐怖のような気持ちがあったと思います。
その気持ちは成長しても消えませんでした。
就職してから
学生の頃は周りに居たのはほぼ同年代の人ばかりでした。
しかし、就職すると年下から年上まで様々な年代の人と関わりができます。
私は最初は問題なく他人と関係を築くことが出来るのですが、親しくなると上手くいかないことがよくありました。
それは、他人と自分との境界線が曖昧になってしまうからだと思います。
親しくなればなるほど、相手に求めることが大きくなります。
仕事上の関係として割り切ることが出来なくなるのです。
おそらくは、私が安定した安全基地を持ち、精神的に揺るがない支柱みたいなものがあれば、さほど外での人間関係は気にならなかったのだと思います。
しかし、私にとっては他人に嫌われていないか受け入れられているかということが最重要であり、自分が考えるように他人も自分のことを考えてくれていると実感できないと不安でたまりませんでした。
そんな関係が上手くいくはずもなく、仲が良い人とほど、途中で修復出来ないほど関係がこじれるということがありました。
「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」(岡田尊司著)によると、「(不安方の愛着障害の人は、)親密になればなるほど、急速に自分と他者の境界が曖昧になり、相手を自分の一部のように思い込んでしまう。「見捨てられる」という不安が強いため、自分が愛されていることを確かめようとする過剰確認行動も認められやすい。」と記されています。
これはまさに私に当てはまる特徴であり、読んでいるだけでしんどくなります。
しかし、本当に愛着に飢えているということはどうしようもないほど、孤独で不安なことなのです。
そして今
私が変わったと思うのは、やはり子どもを産んでからです。
子どもたちに愛され、子どもたちを愛すことで、本当に私は孤独から解放されたと思います。
職場で嫌われても、何を言われても、家の中に味方がいるのでそれほど気にならなくなりました。
本当に大切な人に愛されている自信があれば、大体のことは乗り越えることが出来ます。
今は職場での人間関係は、仕事を円滑に進めるために良好に保つのが1番良いと割り切っているので、必要以上に期待したり、落胆することもなくなりました。
みんなと何の問題もなく上手くやるというのは難しいことです。
しかし、これ以上は踏み込まないと一本線を引くことが出来れば、自分を守ることが出来ます。
余計なストレスを減らし、その分家族との時間を大切にしていきたいと考えています。
230引用:「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 岡田尊司著 (光文社新書) P
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