私が子どもの頃、学校へ登校するときは同じ地域の幼稚園から小学校6年生までの子どもたちが、一緒に並んで登校していました。
今も小学生の子どもたちがそうやって登下校しているのをよく見かけます。
私の地域では、小学校の隣に幼稚園があったため、小学生と一緒に歩いて登園していました。
それも結構な距離で、子どもの足で30~40分程かかりました。
現在は未就学児が、長距離を徒歩で登園することは考えられないかもしれませんが、当時はそれが当たり前でした。
この登校時に、私はよく妄想を膨らませていました。
その内容は、自分が人気者で、誰もが羨むような才能を持っていて、世間から必要とされているという現実離れした妄想でした。
他の何も気にならないほど、私は妄想にふけっていました。
夢中になりすぎて、前を見ておらず、電柱にぶつかったこともありました。
毎日毎日、同じような妄想を飽きずに繰り返していたのです。
空想の世界で私は自由でした。
歌って、踊って、みんなの注目を浴びたり、英語をしゃべってみんなを驚かしたり…
自分の中にある無意識の願望が作り出した空想世界で、私は理想の自分になることができたのです。
妄想をすることで、私の心は少し満たされた気持ちになりました。
一方で現実の私は自分の長所や得意なことが一体何なのか、分かりませんでした。
自信がなく、自己肯定感が低いという愛着障害の特徴に当てはまります。
妄想は私の理想を詰め込んだものだったのかもしれません。
こうなりたい。こうでありたい。こうでなくてはならない。必要とされたい、怒られたくない、愛してほしい。
そういった思いが私をがんじがらめにし、空想世界に逃げ道を作ることでガス抜きをしていたのだと思います。
この頃の私にとって、空想世界が安全基地のような役割をしていたのかもしれません。
私はこの体験から、子どもたちには自分の強みを自覚し、自信を持ってそれを伸ばしていってほしいと思っています。
そのためにも、子どもたちには他人と比較することなく、どこがどのように良かったか、出来るだけ具体的に伝えるようにしています。
子どもの可能性は無限大です。
しかし、その可能性を生かすも殺すも親の関りが大きく関係すると思っています。
しっかりと安全基地を持ち、自分の力で外の世界を探索できるように、私も未熟ながら勉強していきたいと考えています。
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