私の祖母は習字の先生をしていました。
自宅で教室を開いていて、私もいつからか習字を始めていました。
5歳ごろから祖母は私に平仮名やカタカナの書き取りをさせていました。
私はそれが嫌で、怒りながらやっていました。
嫌ならやらなければいいのですが、私はなぜかいやいやながら言われたとおりに全部やっていました。
いやいややるので身につかず、上手くいかないことで私はイライラして怒るという悪循環でした。
習字の時は祖母がべったりと横に張り付いて、口を出す状態でした。
子どもは飽きっぽく、集中力も短時間しか持続しません。
まして、自分がしようと思っていることに横から口を出されたらやる気を失ってしまいます。
もともと習字も自分から始めたわけではなく、やらされていたので楽しくもありませんでした。
この時間が苦痛で、私はよく「もういや、やりたくない」と癇癪を起していました。
そのうち、祖母は短時間で終わらすために、私の手を持って字を書かせたり、あとなぜをさせていました。
それはもう私の字ではなく、祖母の字です。
級位は上がっても、私は上達しませんでした。
習字の級位が上がる度に祖母は喜んでいましたが、私は自分がズルをしていることが分かっていたので、罪悪感しかありませんでした。
祖母は同学年の子に私が級位で負けるのが嫌だったのです。
祖母は私のためではなく、自分のために私に習字を習わせていました。
大きくなるにつれて、私の罪悪感は大きくなり、祖母に「もうズルはしたくない」と伝えましたが、やめさせてはもらえませんでした。
父も私がズルをしていたのを知っていたので、「何のためにそんな意味のないことをするんだ」と私に言っていましたが、同じことを祖母には言いませんでした。
父は子どもが苦しんでいることも知ろうとせず、私を責めるだけでした。
私は罪悪感と羞恥心で本当に傷つきました。ズルをしていて、それをやめられない自分が悪いのだと思っていました。
この時に私の思いや考えを少しでも聞いて、父から祖母に伝えてくれていたら、どんなに私の心も楽になったことでしょう。
私は今でも自分の書く字が嫌いです。
この苦痛は私が祖父母の家に行くことを禁止されるまで続きました。
どうして私は祖母に従っていたのでしょう。
祖母は私を怒ることはほとんどありませんでしたが、私は祖母の言うことに逆らいませんでした。
怒りながらも従っていました。
それは「祖母を傷つけたくない」という気持ちが大きかったのだと思います。
この頃、私にとっての安全基地は祖母でした。
母よりも祖母と過ごす時間が多く、祖母との結びつきの方が強かったのです。
祖母は見えや評判を気にする人でした。
祖母にとっては、私自身よりも私が周りからどう見えるかということが重要だったのです。
それでも私は祖母にすがるしかありませんでした。
安全基地がその役割を十分果たすことが出来ておらず、私は大人になってから不安型愛着障害スタイルを示すようになります。
そもそも、本当に1つのことを習得しようとすると、多くの時間と努力を費やさなくてはなりません。
その時に原動力となるのが、自分が心から上達したいと思い、楽しむことではないでしょうか。
子どもの可能性は無限大です。
親は子どもがやりたいと思ったことが出来るように環境を整えはしても、決して無理強いはしてはいけないのだと私は思います。
私の子どもも今習い事をしていますが、集中力が切れて、いやいややっているなと思ったら、そこからは無理にはやらせません。
「嫌ならやめてもいいよ」と子どもに決めさせます。
騒いで他の子の邪魔をしている場合は注意しますが、やらなかったことに対しては何も言いません。
そして、出来たことは言葉にして本人に伝え、褒めます。
親はどうしてもできなかったことや悪いことに目がいきがちです。
でも、続けていれば必ず良い点は見えてくるので、そこは見逃さない様にしたいと思っています。
とは言っても、私もどうしても口出しはしたくなるので、自分との戦いです。
本当に忍耐力や我慢が必要なのは親の方かもしれませんね。



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