私は両親と別々に暮らしながら幼稚園に入園しました。
担任の先生が、私が両親ではなく祖父母と生活していることを知り、母に祖父母とではなく両親と一緒に暮らすよう話をしました。
そのため、私は幼稚園から両親と生活をするようになり、週末の夜だけ祖父母の家に泊まりに行くことになりました。
祖母と離れることにはなりましたが、平日母が帰宅するまでは祖父母の家で過ごしていましたし、週末の夜は泊りにも行けたので、あまり寂しいという気持ちはありませんでした。
しかし、私が小学生になった頃、父と祖父がまた喧嘩をし、父は一方的に私と弟に祖父母の家には一切行ってはいけないと言ったのです。
そして出会っても無視をするように強制しました。
私と弟は混乱しました。
二人ともまだ幼く、今までかわいがってくれた祖父母と急に距離を置くなんて出来るはずがありません。
その後も私たちは祖父母の誘いを断れず、何度か祖父母の家に遊びに行きました。
祖父母の家の前を通らないと帰れないので、避けることはできませんでした。
その度に私たちは父に怒られました。
怒られるのが嫌で、祖父母の家には行っていないと嘘をついたことがありました。
嘘がばれて、私たちは怒られ、情けないと母には泣かれました。
この時私は、全部自分が悪いと思っていました。嘘をついて母を悲しませたことに私自身も傷つき、反省しました。
「私がちゃんとしなければ。絶対にもう行ってはいけない。これ以上お母さんを悲しませてはいけない。」
家族の平穏を乱さないために、子どもが親に気を遣い、親のために行動するという異常な状態でした。
自分の行動で家族が壊れてしまうかもしれないという緊張感もありました。
本来一番安全で安心する場所が、私には常に恐怖と緊張がつきまとっていました。
母を泣かせてしまってから、私は祖父母に会っても話もせず、祖父母の家には行きませんでした。
こうして私は療育者が替わっただけでなく、安全基地も失うこととなります。
そもそもおかしいのは父です。
子どもは親の所有物ではありません。別の人間なのです。
考えていることもひとりひとり違いますし、自分の考えを子どもに強制することは出来ません。
私たちにとって今までかわいがってくれた祖父母ということに変わりはないですし、会いに行くことを止める権利は誰にもないのです。
しかし、幼い子どもにとって親の言うことは絶対です。親が正しいと信じていますし、親に見捨てられまいと必死です。
私はただただ「良い子」ではない自分を責めました。
母もこのような状況で、父の機嫌を損ねない様に必死だったのだと思います。
仕事をし、父の機嫌を伺い、私たちを気遣う余裕などなかったでしょう。
父はいつ、どんなことで怒るか分かりませんでした。
それまで笑っていても、急に機嫌を悪くして、怒りだすのです。そして、一度機嫌を損ねるとなかなか許してはもらえませんでした。
私たちは父を怒らせない様に、薄氷の上を歩くような生活をしていました。
このような生活が影響したのか、私は大人になってから、他人の顔色や発言にとても敏感な時期がありました。
自分は嫌われているような気がする、あんなことを言ったから怒らせてしまったのではないか、私にだけ態度が冷たい気がする等、本当に他人の一挙手一投足に神経質になっていました。
それは自分の視野をとても狭くし、身動きを取れなくしてしまう、見えない鎖のようでした。

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