幼少期のころ
私は幼少期から通信教材で、国語や算数を先取りして勉強していました。
そのため、小学校に入る前に、平仮名、カタカナは覚えていて、自分の名前も漢字で書けるようになっていました。
簡単な足し算や引き算もできたと思います。
祖母が習字を教えていたこともあり、字を書く練習はよくやらされていました。
自分からすすんで字の書き取りをやっていた訳ではなく、遊びたいのを我慢してイヤイヤやっていました。
小学校入学当初は順調でした。
勉強は好きではありませんでしたが、既にやっている内容ばかりで、授業や宿題も簡単でした。
小学生になって
しかし、最初は簡単でも少しずつ内容は難しくなっていきます。
私は「良い子」でいるため、宿題は頑張ってやっているつもりでした。
しかしそれは、親や先生から「怒られたくない」「褒められたい」という一心でやっていただけなので、ドリルの答えを写して早く終わらせることもありました。
私は幼い頃からテレビっ子でした。
鍵っ子になってからは、特に寂しくて、家で留守番をしている時は常にテレビをつけていました。
特にテレビアニメを見ているときは、何も考えず、夢中になっていました。
テレビアニメが見たくて、宿題を早く終わらせようとしていたときもありました。
そのため、授業内容は覚えておらず、分からない所もそのままでした。
小学2年生の時に、三角形の面積を求める公式が分からず、テストが出来ていないことに父親が気付きました。
それまで両親ともに私の勉強にはあまり口出ししませんでしたが、そのことで危機感を持ったようでした。
始まった勉強会
それから、毎週土日の午前中に父親が私たちに勉強を教えるようになりました。
塾に通わせなかったのは、お金がかかるからです。
毎週末、私たちは3~4時間父親に勉強を教えられました。
1~2時間毎に休憩を挟みはしますが、子どもにとっての1時間とは本当に長く、集中力も続きません。
何より、楽しくないので毎週末の午前中は憂鬱でした。
そして勉強会だけでは終わらず、父は学校の宿題とは別に、自分で買ってきた問題集を平日にさせていました。
子どもにだって「今日はやりたくない」と思う日は必ずあります。
しかし、そんなことを言うと、「もう教えない」とか「お前は大学にも行けず、下らない仕事にしか就けない」と脅されました。
下らない仕事なんて無いと思うのですが…
一番嫌だったのが、私たちが少しでも父に難色を示せば、機嫌が悪くなり、それが長期間続くことです。
一度謝った位では父に許してもらえず、数日間家の中の空気は緊迫したものとなるのです。
それが分かっていたので、ただ耐えるしかありませんでした。
この勉強会は6年程続きました。
最初は算数だけだったのが、英語も教えるようになり、確かに成績は伸びましたが、教え方が素人なので分かりにくいことも多々あり、難問になると私は解けませんでした。
問題集も父に怒られないためにやっていたので、簡単な問題だけ解いて、難問はすぐに諦めていました。
出来ているように上手く誤魔化し、早くテレビが見たかったのです。
この頃は本当に勉強が嫌いでした。
自己肯定感が低いこともあって、「どうせ自分にはできない」とすぐに諦めることも一因だったと思います。
子どもは出来なければ、楽しくないし、やりたくないのです。
親の役割
子どもは放って置いても自分から勉強をする、ということはほとんどありません。
どんな形であれ、子どもが自分からすすんで勉強をする過程まで、親が導いていかなくてはならないと思っています。
その方法は人によって異なるとは思いますが、私の経験からから思うことは、親が一方的に、強制的にさせることには意味がないということです。
これでは主役は親です。
子どもに勉強をさせたいなら、まずは子どもが何に興味を持っているかを探ったり、モチベーションの維持に徹することが大切なのではないでしょうか。
親はあくまでサポート役であり、主役は子どもです。
自分も親になったからこそ、気をつけなくてはいけないと私も考えています。
学ぶ喜びや楽しさを教え、子どもから選択の自由を奪わないようにしていきたいものです。
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